2013年06月08日
惜別
5月31日。
母が亡くなりました。
1週間ほど前に84歳の誕生日を病室で迎えたばかりでした。
母が亡くなりました。
1週間ほど前に84歳の誕生日を病室で迎えたばかりでした。
容態が急変したと知らせを受けて駆けつけましたが
・・・もの言わぬ母が、ただ静かに横たわっているだけでした。
数日前から呼吸が荒く、心配はしていましたが。。。
3月に仕事を辞め、殆ど毎日病院に通い
寝たきりで自分の意思を伝える事も出来ず
言葉をかけても頷きはするものの
会話が出来ずじまいのまま。
時折、「こんにちわ」と言葉を返す事はあっても
それ以上の言葉を発する事はないままでした。
誕生日を迎える数日前も、その言葉を返してくれたばかりでした。
まだ頑張ってくれる・・・そう信じていました。
前日、帰る間際に声をかけると
それまでした事がない瞬きを数回。
それが最期の別れとなってしまいました。
母と言っても戸籍上は「伯母」
実母の姉が私を2歳の頃から育ててくれたのです。
1月に亡くなった妹が生まれる前に
私の姉と兄と一緒に「伯母」の家に預けられ
私だけがそのまま「伯母」の子として育てられました。
子供の居なかった「伯父、伯母」を
「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んで。
50歳を過ぎて離婚した後、一人で気丈に生活をしてきました。
何に対しても臆する事なく突き進み
私でさえ怯みそうな事を堂々と難なくやって来たような人でした。
どれだけ喧嘩をしたでしょう。
憎まれ口をお互いに叩き
そのたび後悔し、すぐまた喧嘩を繰り返す。。。
母が私を育ててくれた、その意味を
今、考えています。
きっと何かあるんだよね。
この先の私の人生に。
母の歳まで私が生きられるかどうか、
それは分からないけれども
その時が来たら私は母の気持ちが分かるのでしょうか?
今、雑多な用件が沢山あり
「相続人」でない私は全てを母の兄弟に委ねるしかなく
それでもその雑多な仕切りをしなければならず
ふと一人になった時に零れる涙も
慌てて拭い・・・。
今日、思い立って母の家へ行ってきました。
香典返しの名簿を作っている最中、
ふと、母が呼んでいるような気がして。
季節が変わり、庭には雑草が生い茂り
その雑草を抜く気力も無く・・・。
玄関を開けていつも母が座っていた居間。
母は、昨年の10月に散歩中に転んで左手甲を骨折し
そのまま私の家で2日ほど過ごした後
家に帰る事なく施設へ入所したので
あの時のままの母の座る座布団もそのままで。
手付かずのままの家の風景が哀しくて。。。
逃げるように家を後にしてきました。
長い間、お風呂に入る事が出来なかったので
湯灌を済ませた母の顔は嬉しかったのでしょうか?
ピカピカに輝いて、生前は仏頂面が多かった母が
とても嬉しそうに見えました。
叔父や叔母も
「生きている時よりもキレイやなぁ」
と言ってくれました。
参列してくれた私の知人達も
「眠ってるようやね」と。
やっと静かにゆっくりと眠る時が来たのですね。
苦しい事も伝えられず
体を自由に動かす事も出来ず。
半年間のベッドの上はどれほど窮屈だったか。
私は母の想いをどれほど酌みとる事が出来ただろうか。
先に逝った伯父達には逢えたでしょうか。
豪快な母でしたが、酒は一滴も飲めず
伯父達に酒の相手にはならんと笑われてるでしょうか。
安らかに。
私は貴女の娘で良かった。
貴女に育てられて良かった。
育ててくれてありがとう・・・・いつまでも・・・・貴女の娘です。
・・・もの言わぬ母が、ただ静かに横たわっているだけでした。
数日前から呼吸が荒く、心配はしていましたが。。。
3月に仕事を辞め、殆ど毎日病院に通い
寝たきりで自分の意思を伝える事も出来ず
言葉をかけても頷きはするものの
会話が出来ずじまいのまま。
時折、「こんにちわ」と言葉を返す事はあっても
それ以上の言葉を発する事はないままでした。
誕生日を迎える数日前も、その言葉を返してくれたばかりでした。
まだ頑張ってくれる・・・そう信じていました。
前日、帰る間際に声をかけると
それまでした事がない瞬きを数回。
それが最期の別れとなってしまいました。
母と言っても戸籍上は「伯母」
実母の姉が私を2歳の頃から育ててくれたのです。
1月に亡くなった妹が生まれる前に
私の姉と兄と一緒に「伯母」の家に預けられ
私だけがそのまま「伯母」の子として育てられました。
子供の居なかった「伯父、伯母」を
「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んで。
50歳を過ぎて離婚した後、一人で気丈に生活をしてきました。
何に対しても臆する事なく突き進み
私でさえ怯みそうな事を堂々と難なくやって来たような人でした。
どれだけ喧嘩をしたでしょう。
憎まれ口をお互いに叩き
そのたび後悔し、すぐまた喧嘩を繰り返す。。。
母が私を育ててくれた、その意味を
今、考えています。
きっと何かあるんだよね。
この先の私の人生に。
母の歳まで私が生きられるかどうか、
それは分からないけれども
その時が来たら私は母の気持ちが分かるのでしょうか?
今、雑多な用件が沢山あり
「相続人」でない私は全てを母の兄弟に委ねるしかなく
それでもその雑多な仕切りをしなければならず
ふと一人になった時に零れる涙も
慌てて拭い・・・。
今日、思い立って母の家へ行ってきました。
香典返しの名簿を作っている最中、
ふと、母が呼んでいるような気がして。
季節が変わり、庭には雑草が生い茂り
その雑草を抜く気力も無く・・・。
玄関を開けていつも母が座っていた居間。
母は、昨年の10月に散歩中に転んで左手甲を骨折し
そのまま私の家で2日ほど過ごした後
家に帰る事なく施設へ入所したので
あの時のままの母の座る座布団もそのままで。
手付かずのままの家の風景が哀しくて。。。
逃げるように家を後にしてきました。
長い間、お風呂に入る事が出来なかったので
湯灌を済ませた母の顔は嬉しかったのでしょうか?
ピカピカに輝いて、生前は仏頂面が多かった母が
とても嬉しそうに見えました。
叔父や叔母も
「生きている時よりもキレイやなぁ」
と言ってくれました。
参列してくれた私の知人達も
「眠ってるようやね」と。
やっと静かにゆっくりと眠る時が来たのですね。
苦しい事も伝えられず
体を自由に動かす事も出来ず。
半年間のベッドの上はどれほど窮屈だったか。
私は母の想いをどれほど酌みとる事が出来ただろうか。
先に逝った伯父達には逢えたでしょうか。
豪快な母でしたが、酒は一滴も飲めず
伯父達に酒の相手にはならんと笑われてるでしょうか。
安らかに。
私は貴女の娘で良かった。
貴女に育てられて良かった。
育ててくれてありがとう・・・・いつまでも・・・・貴女の娘です。
junkura_nao at 23:41
お母さんもnaoちゃんもお疲れ様でした。
色々やること多くてのんびりは出来ないだろうけど、そのほうがかえって気が紛れて良いのかな?
でも、無理せずちゃんと泣きながら、気持ちに折り合いをつけて行って下さいね。
レス遅くなりましたm(__)m
暑さには負けそうやけど(笑)
精神的には家族に支えられながら回りの人達にも助けられながら何とかやってますぅ。
微妙な状態になったりするけどね。
予定をいっぱい入れて(苦笑)
ほどほどに活動始めてます。
紅ちゃんちもお姑さんは元気になられたのかな?
今年はまた暑さが半端なさそうやから
紅ちゃんもお体大切に~~~~